東京地方裁判所 昭和53年(ヨ)9192号 決定 1979年5月29日
債権者
榎本文治
債権者
片野孝志
右債権者両名代理人
五十嵐敬喜
平野大
菅原哲朗
債務者
東久建設株式会社
右代表者
平野貞雄
右債務者代理人
高桑瀞
債務者
鈴木良一
主文
一、債務者らは別紙物件目録(一)ないし(四)記載の土地上に建築予定の東京都渋谷区建築主事沼沢安雄が昭和五三年九月一八日確認をなした確認番号四九六号の別紙物件目録(五)記載の建築物のうち、別紙添付図面赤斜線部分の建築工事を本案判決確定に至るまでしてはならない。
二、申請費用は債務者らの負担とする。
理由
一本件申請の要旨
債権者らは主文同旨の仮処分決定を求め、その理由として、債権者らはいずれも別紙物件目録(五)記載の建築予定建物(以下「本件建物」という。)の北方に土地・建物を所有し、家族と共に居住しているが、本件建物が予定どおり完成すると、冬期の午前中大きな日照阻害を受け、本件建物の西隣にある既存の宮庭マンシヨンによるものと合わせて、午前、午後とも日照阻害を受けることになるので、その回復のため、複合日影であることを考慮し、申請の趣旨の限度で債務者らに対し設計変更を求めるものであると述べた。
債務者らは、本件建物は建築基準法の規制に適合し、日照阻害は債権者らが受忍しなければならないもので、債権者らの求める設計変更に従えば、主柱を除去しなければならないので構造上不可能であり、また部屋の機能が失なわれてしまうので応じられないと主張した。
本件の主たる争点は、建築基準法の規制の私法上の意義、複合日影の場合の解決方法、設計変更による債務者らの損失の程度の諸点であるので、以下順次判断する。
二建築基準法との関係
建築基準法は、建築物の敷地、構造、設備及び用途に関する最低の基準を定めて、国民の生命、健康及び財産の保護をはかり、もつて公共の福祉の増進に資することを目的とする(一条)のであるから、建築についての公法的規制であることはもちろんであるが、同時に、周囲の居住者との関係を考慮したものというべきであり、特に日影規制を定めた五六条の二は周囲の居住者の環境を害するおそれの有無を規制基準の一にしているから、私法上の権利関係の判断に当たつては、同法の規制に適合するか否かは有力な判断基準とはなるが、右のとおり最低の基準を定めたにすぎないし、地域的区分によつてある程度概括的に規制するもので、個別的に周囲の状況に応じるものとはいえないから、形式的に適合することによつて直ちに私法上も違法にならないと判断すべきではないことはいうまでもない。
これを本件について見ると、本件建物は、建築基準法に定める建ぺい率、容積率、日影規制に一応適合しているようであるが、諸々の小手先の手直しによるすれすれの適合にすぎないうえ、次のような問題がある。すなわち、疎明資料によれば債務者らは本件建物のうち、一階の一部37.65平方メートルは自動車車庫(以下単に「車庫」という。)に予定していることが認められる。建築基準法施行令二条一項四号、三項により車庫の床面積は建物の合計床面積の五分の一を限度として、延べ面積に算入しないことになつているので、容積率の計算には、右部分を算入しない結果、適合することになった。建築基準法が自動車所有者または車庫所有者を特に優遇する趣旨とは解されないから、右規定は、車庫が建物本体とは別に比較的軽量の材料によつて構築されることが多いので(屋根と支柱だけのものも見受けられる。)空間の確保による安全維持のためという観点から、建物本件と同視するのは相当でないとの理由で右のとおり五分の一の限度で算入しないことにしたと解すべきであり、仮に、車庫について右のような軽量の構造でなく、建物本体の一部となっているものも同様に扱うとしたら、四階建しか建てられないところを、一階全部を車庫にすれば五階建にできることになり、また一旦車庫として設計したものを後で他の用途に転じることによつて規制をくぐることが可能になるという不合理が生じる。もつとも、建ぺい率等の規制内容は、行政庁が広い立場から総合的に判断して決定すべきことであり、個別的解決にすぎない司法が一方的に判断すべきではないし、右の問題のみによって結論が左右されるわけではないので、車庫の点につき疑問の余地があることを指摘するにとどめるが、本件建物の設計が公法規制をすれすれに適合させている一要因になっていると考えられる。
三複合日影について
疎明書類によれば、本件建物が予定どおり完成すれば、債権者らの各建物について、冬期の午前の日照がかなり阻害されることが一応認められる。そして本件建物の西隣に既存の七階建の宮庭マンシヨンによつて従前から午後の日照が阻害されていたので、今後は両方の建物によつて、午前、午後とも阻害されることになると予想される。公法規制として日影規制は、同一敷地上に二以上の建物がある場合を除き、建物毎に日影をはかり、条例に定める数値を超えるか否かを判断するので、既存の他の建物とは独立に適合性が決められることになるが、私法上の権利関係から見れば、予定建物の北方の建物の居住者にとつては、既存の建物によつて何らかの日照阻害があつて、それに加えて新たな建物によつても日照阻害が予想される場合、既存の建物と新たな建物のそれぞれの日影が公法規制に適合するとしても、両者の日影が複合して大きな日照阻害を受けることになる。このような場合、北方の建物の居住者がこれを受忍しなければならないとするのは酷であるし、新たな建物の建築者が、複合日影のために建築制限を受けることにするのも相当ではない。新たな建物の建築者にとつて、既存の建物は自分の責任の範囲外であり、同地域にあつては原則として既存の建物と同規模建物は建てられると扱うべきである。この場合、両者の立場を調和させるため複合目影のうち、新たな建物によつて生じる日影が全体の中で占める割合を時間で算出し、複合日影によつて規制値を超える日影時間のうち、右割合によつて算出される限度で、日照を回復させるようにすることが公平にかなうと考えられる。疎明資料によれば、本件において、申請の趣旨のとおりに建築を制限することによつて回復する日照は、位置によつて多少の違いはあるものの、債権者榎本文治所有の建物の主要開口部中央で三〇分間、債権者片野孝志所有の建物の主要開口部中央では二八分間となり、これらは複合日影につき、右の考え方に従つて算出した時間を上回らないことは明らかで、債権者ら及びその家族の健康な生活を守るためやむをえない程度にとどまると考えられる。
四債務者らの損失
右の建築制限によつて、現在予定中の本件建物は、後に本案判決によつて債権者らの主張が認められない結果となつたとしても、事実上、当初の設計どおりの建物を建てることは困難になるし、設計の手直しによつて制限部分の建築ができないと、販売予定の部屋の面積が右の限度で減少することは否定できない。しかし、前記のとおり、債権者らにとつて真にやむをえない程度の制限であるから、債務者らとしても受忍すべき範囲内であると考えられるし、右制限によつて、制限部分以外にも影響を及ぼして、本件建物の四階以上の部分の建築に著るしい困難を生じるとは認められない。すなわち、疎明資料によれば、制限部分に柱が設計されているけれども、この柱は四階の屋根を支えるためのもので、それ以上のものではないから、建設方法を変えることによつて、制限以外の部分の工事は十分可能であることが認められるし、右制限によつて、部屋の形は変わるけれども、間取りを手直しすれば面積の減少の他に損失を及ぼすとは考えられない。
五本件紛争解決のために
債権者らは、途中で申請を取下げた他の五名と共に、本件建物の建築に反対していたが、最終的には申請の趣旨を減縮して、最少限の要求にとどめるとの態度を示した。一方、債務者らも渋谷区建築主事の指導もあつて、一時工事を中止し、紛争解決まで待とうとの姿勢を示し、更に本件手続進行中にも一部削減に応じるに至つた。右のような両者の姿勢は紛争解決のため好ましいと評価でき、合意による解決も可能かと思われたし、債務者本人らは、申請の趣旨と同旨の建築制限を認諾する意思を一旦表示しながら、結局妥結に至らなかつたのは遺憾というほかはない。
本件のような、日照を争点とする断行の仮処分事件では、多くの場合仮処分決定が本案判決の代わりとして重要な意味を持つが、なお資料の面、あるいは時間的制約により、保証でまかわなければならない暫定的な性格を残し、最終的解決ではないことはいうまでもない。本件においては右のとおり互譲の動きがあつたのだから、時間をかけても最終的解決をめざすべきであつたかもしれないが、暫定的解決によつても、債務者らは一部制限を受けるものの、他の部分の建築は可能になるのであり(法的には債権者らが申請の趣旨を減縮した時点で可能になつたとも考えられる。)事案の解決の方向としても相当であると考えられる。
六結論
以上の次第で、複合日影による被害の回復のため、債務者らに対し一部建築制限を求める債権者らの本件申請は、被保全権利について一応の疎明があり、また建築完成後に回復をはかることは著しく困難であるから、保全の必要性があることは明らかであるのに対し、債務者らの受ける損失は金銭補償が可能であるから、本案判決確定に至るまで本件建物の建築を一部制限することとし、債権者らに共同の保証として、債務者らのため全部で金二〇〇万円の保証を立てさせ、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり決定する。
(佐藤道雄)
物件目録
(一) 東京都渋谷区千駄ケ谷
三丁目八番一八
宅地 19.83平方メートル
(二) 東京都渋谷区千駄ケ谷
三丁目八番一九
宅地 66.11平方メートル
(三) 東京都渋谷区千駄ケ谷
三丁目八番二〇
宅地 36.36平方メートル
(四) 東京都渋谷区千駄ケ谷
三丁目八番二一
宅地 204.95平方メートル
(五) 東京都渋谷区千駄ケ谷三丁目八番
一八、一九、二〇、二一
共同住宅、事務所、自動車車庫
鉄筋コンクート造陸屋根五階建
一階 207.03平方メートル
二階 212.42 〃
三階 208.20 〃
四階 207.08 〃
五階 107.57 〃
屋階 22.16 〃
別紙図面(編注・主文中に「赤針線部分」と表示された部分は単純に斜線をもって示した。)
立面図Ⅱ、四階平面図、五階平面図<省略>